お宮でも修行
雄踏のお祭りもおわり、静けさを取り戻した息神社。(おきじんじゃ)
お祭りのときでも、昔から伝わるしきたりがここ、雄踏でも見られました。
どこの神社にも鳥居がある。そこから境内まで一切の夜店、屋台がないこ
とにきがつきましたか?勿論雄踏にもありません。
場所的にも無理がありますが・・・。やはりこれにも意味があるのです。
鳥居から境内以外では、祭りの浮かれ、楽しみを存分味わうことはとても
良いこと。「何を買おう?」「何を食べよう?」という会話で盛り上っている
ことでしょう。
しかし鳥居から境内まで、ほんの少しの距離、時間は五穀豊穣、家内安全
商売繁盛を感謝し、祈り、無駄な会話は慎み清々たる気持ちで歩こう。
実際、練りをしながら各字が参拝を行うことは間違いなのかもしれません。
祭り本来の意味を忘れてしまっては何の意味もありません。
参加者が毎年減るのもうなずけます。本当の意味を失った祭りはただの
馬鹿騒ぎにすぎなくなってしまう。
せめて参拝時には、祭りに参加できる、快く参加を促す家族、仲間、
ご近所そして、神様に感謝し、その姿をその一瞬だけでもいいから
さらけ出すことでより楽しく、より有意義なお祭りの時間を過ごせる
のではないでしょうか?それも、修行なのだと思う。
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